歎異抄 第9章 同じこころ

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歎異抄の原文

①念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。

②よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへてよろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。

③また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。

④踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと[云々]。

語句説明

踊躍歓喜・・・心身ともにおどりあがるほどよろこぶ心。

おろそかに・・・不十分、切実ではない。

いかにと候ふべきことにて候ふやらん・・・どのようにあるべきことであろうか。

唯円・・・親鸞の門弟。 和田わだの唯円。 常陸国河和田の人で報仏寺の開基とされる。 もとは北条平次郎といい、 大部の平太郎真仏の弟という。 妻が親鸞に帰していたことを縁として自らも親鸞の門弟となったといわれる。

往生は一定・・・往生は定まっている。

おもひたまふなり・・・理解している

煩悩・・・惑とも意訳する。 身心を煩わせ、 悩ませる精神作用の総称。

所為・・・せい、しわざ

かねて・・・前もって

しろしめして・・・ご承知なされて

凡夫・・・煩悩によって苦しみ悩む人々、わたし

悲願・・・仏の大慈悲心よりおこされた誓願のこと。

久遠劫・・・はかりしれない遠い過去。 永遠の昔。

流転・・・流れるの意。 車の輪が回転してきわまりないように、 衆生が三界・六道の迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けること。

苦悩の旧里・・・苦悩のふるさと、この世、どんなに苦悩の世界であっても捨てがたいと執着する

安養・・・阿弥陀仏の浄土のこと。 安養界・安養浄土・安養浄刹などともいう。 心を安らかにし、 身を養う世界であるからこのようにいわれる。

興盛・・・盛んで強いこと

娑婆・・・忍・堪忍などと意訳する。 この現実世界のことで、 衆生は、 内にはもろもろの苦悩を忍んでうけ、 外には寒・暑・風・雨などの苦悩を忍んでうけて堪え忍ばねばならず、 しょうじゃも疲労や倦怠を忍んできょうするから、 忍土・忍界・堪忍土などともいう。

ちからなくして・・・自分の力ではどうしようもなくて

かの土・・・彼岸の浄土。阿弥陀仏の浄土。

大悲大願・・・阿弥陀仏の大慈悲の誓願。

あやしく候ひなまし・・・具合の悪いことにあるだろう

歎異抄の現代語訳

①念仏しておりましても、おどりあがるような喜びの心がそれほど湧いてきませんし、また少しでもはやく浄土に往生したいという心もおこってこないのは、どのように考えたらよいのでしょうかとお尋ねしたところ、次のように仰せになりました。この親鸞もなぜだろうかと思っていたのですが、唯円房よ、あなたも同じ心持ちだったのですね。

②よくよく考えてみますと、おどりあがるほど大喜びするはずのことが喜べないから、ますます往生は間違いないと思うのです。喜ぶはずの心が抑えられて喜べないのは、煩悩のしわざなのです。そうしたわたしどもであることを、阿弥陀仏ははじめから知っておられて、あらゆる煩悩を身にそなえた凡夫であると仰せになっているのですから、本願はこのようなわたしどものために、大いなる慈悲の心でおこされたのだなあと気づかされ、ますますたのもしく思われるのです。

③また、浄土にはやく往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、どうすることもできないで命を終えるとき、浄土に往生させていただくのです。はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、往生は間違いないと思います。

④おどりあがるような喜びの心が湧きおこり、また少しでもはやく浄土に往生したいというのでしたら、煩悩がないのだろうかと、きっと疑わしく思われることでしょう。
このように聖人は仰せになりました。

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